なぜアクアポニックス?①

前回は藤沢アクポニビレッジ等の見学の様子をお伝えしましたが、あの時の急な質問の中で「なぜアクアポニックスに携わろうと思ったのか?」といったものがありました。その時はちょうど農業で独立したいという思いがあったところに、アクアポニックスという面白い農法に出会ったことが重なってという回答をしました。当時の状況の詳細は当ブログの「アクアポニックスについて④」に詳しく書きましたが、今回は改めて「なぜアクアポニックスを今、ここで行うのか?」ということを深く考えてみたいと思います。

 

このことを考えるきっかけは農場見学の他にもう一つ、見学に行く少し前にネットで大炎上した「コオロギ食」のことがありました。その状況を簡単に説明すると、ここ数年で着々と進んできた昆虫食を導入する試みの一つとして、コオロギ食品を試験的に給食で提供されたという記事が炎上し、それを機に昆虫食に対する拒否感が膨れ上がってしまったという事件です。(参考記事 https://bunshun.jp/articles/-/61542 )

この件については最初は他人事で捉えていましたが、よくよく考えてみるとそうもいかない、下手すると二の舞になりかねないという危機感が芽生えてきました。

 

確かに近年、国連食糧農業機関(FAO) などが地球規模の食糧危機の警鐘を鳴らしており(2022年報告 https://www.fao.org/japan/portal-sites/foodsecurity/jp/)、その対策の一つとして昆虫食があげられています(世界の食料不安の現状 2013年報告)。上記のコオロギ食は国内での動きの一環として、昨今のSDGsへの取組みも合わせた試みだと思います。現にこの炎上騒ぎまでは、コオロギ養殖事業も大手企業と連携した製品化も徐々にではあるが着実に進んでいました。彼らは純粋に食糧危機を憂い、SDGsの一環として事業拡大を図っていたのだろうと思いますが、残念ながら消費者はついて行っていなかった… 

以下は私なりの分析です。

 

①そもそも人々の食べ物の選択ハードルは高い

 野菜作りを生業として始めたばかりの私が改めて気づかされたのは、「消費者は食べ慣れていないものをわざわざ選ばない」ということです。自分の農場施設を作ってから、まずは「商売するなら人目を引きそうな珍しい野菜を作ろう」と考えて、色々な野菜を栽培してみました。しかし、意見を聞こうと周りの人に無料で渡そうとしても貰ってもらえないこともありました。魚のティラピアでも同じく、いくら世界では食べられていると言ったところで、国内での商品価値は低いです。やはり、消費者としては何らかの必要性がない限り、知らないもの食材として選ばないものです。野菜や魚ですらこれなのだから、まして虫のハードルは高いでしょう。

 

②「ではの守」への反発

 どんな分野においても何かにつけて聞かれる「海外では~」「欧米では~」「国連では~」という、いわゆる「ではの守」の意見が戦後長らく(明治維新後ともいえる)もてはやされてきましたが、いよいよその威光も消えつつあるのか、最近では「うちはうち、よそはよそ。日本には個別の問題もあれば、アプローチの仕方もある」という意見も聞かれるようになりました。そこには冷静な指摘が多いですが、これまで「ではの守」を掲げて上から目線で説教じみた主張を繰り返してきた「意識高い系」に対する反発もある様に感じます。そのような言論空間の中ではいくら国連が推奨していると言えども、昆虫食をすんなりと受け入れられることはなく、フードロスや酪農などの食糧生産の問題など、国内の食糧問題の解決が先なのでは?という意見が出るのは無理もないでしょう。

 

③「ごり押し」への不信感

 先程から指摘してきましたが、国内での昆虫食の需要は決して高くはありません。その一方で、いつの間にか着々とコオロギ食品が実用化され、店頭で見られるようになってきました。メディアは少し前までは虫を食べることを罰ゲームとして扱っていたのに、いつの間かSDGsだなんだと理由をつけて好意的に扱うようになりました。この状況を見ると私などはいわゆるメディアによる「ごり押し」を感じてしまいます。メディアによる「ごり押し」はこれまでいくつも炎上してきたせいか最近は下火のように感じますが、その不信感は拭えていません。

 

④そして陰謀論へ

 上記①~③が絶妙に交じり合って生まれたのが「コオロギ陰謀論」ともいうべき批判です。

曰く、「コオロギ? エコだのSDGsだの言って補助金でもついているんじゃないの?」

曰く、「メディアがごり押しして、今度はコオロギを食べさせようとしているのか?ステマ?」

曰く、「官庁と業者とメディアでコオロギの利権ができているんじゃないの?」 etc…

それぞれへの疑問点については正否があるでしょうが、一度芽生えた不信感はなかなか拭えないものです。今後のコオロギ事業がどうなるのか分かりませんが、少なくとも今回の件がマイナス要因となることは間違いないでしょう。

 

以上のことを踏まえ、今回の事件の原因を考えると、コオロギ食事業の軸足が国連の食糧危機報告に偏りすぎていて、日本国内の状況に沿っていなかったのではないか、言い換えれば「なぜ今、日本でコオロギ食を普及しなければならないのか?」という問いに明確に答えられないからではないかと思われます。仮に日本でコオロギ食を普及させることに明確な理由を出せたなら、「コオロギなんか食べたくない!」と考えている人からも「そういうことなら食べてみるか」となる人も出る可能性もあり、ここまでの炎上騒ぎにはならなかったかもしれません。

翻ってアクアポニックスの現状を考えた時に、「なぜ今、日本でアクアポニックスを普及しなければならないのか?」という問いに明確に答えられるか?という指摘を受けなければならないでしょう。そういう意味でコオロギの一件が他人事ではないのです。ともすればエコ・SDGsの文脈で語られがちなアクアポニックスですから、それ以外の意義を語れない場合はコオロギの二の舞になりかねないという危機感があります。

次回はこのことについて考えてみたいと思います。

 

2023年03月28日